SUPERB ACTRESS 真野恵里菜

SUPERB ACTRESS 真野恵里菜

PHOTO=厚地健太郎 HAIR&MAKE=太田年哉(maroonbrand)
STYLING=八杉直美 INTERVIEW=斉藤貴志

 
 

「坂道のアポロン」でお嬢様役
後戻りしない決意を示すシーンも

 
 
――「坂道のアポロン」で、主人公の薫(知念侑李)たち高校生3人と関わる美大生の深堀百合香を演じていますが、以前から三木孝浩監督の作品に携わりたかったそうですね。

「私が20歳過ぎの頃、監督のワークショップに参加させていただいたことがありまして、『いつかお仕事でもご一緒させていただきたい』と思っていました。今までも他の作品のオーディションを受けさせていただいたんですけど、なかなか縁がなくて……」。

――えっ? 真野さんぐらいキャリアがあっても、オーディションを受けていたんですか!?

「はい。今回の百合香役もオーディションでした。千太郎(中川大志)をモデルにスケッチするシーンの台本をいただいて、ビデオを回して読み合わせでお芝居をして決まりました」。

――そうだったんですか。原作マンガも読んで臨んだんですか?

「もともと知ってました。ジャズのお話というのが珍しいですよね。バンドものやアイドルものが多い中で素敵に感じて、実写化と聞いて『出られたらいいな』と漠然と思っていました。百合香は育ちから何から私とは掛け離れたキャラクターですが、そういう役に挑戦することで役者として成長できる気がしたんです。オーディションでお芝居を見ていただいた上で選ばれた安心感はあって、現場には少し自信を持って行くことができました」。


――三木監督の他の作品も観ていて?

「観てました。出演されている女優さんが、よりキラキラしていたり、はかなさが出ていたり、三木さんの撮られる画はすごくきれいで好きだったので、役者をやっていく中で、いつか撮っていただきたい憧れがありました。園(子温)さんに対しては、ああいうズバッと言われる現場に入ってみたい興味があったんですが、三木さんの場合は、あの画の中に自分も入りたい願望がありました。百合香として海辺で帽子が飛んで千太郎たちと出会ったり、少女マンガのようなキラキラした瞬間を撮っていただけてうれしかったです」。

――実際、三木組でどんな演出があったんですか?

「現場にやさしい空気が流れていて、特に『ああして、こうして』というより、その都度、監督が気になったところを指摘していただきました。良かったときには『今のは良かったね』と言ってくださって、伸び伸びとやらせていただきました」。

――百合香は原作では薫たちの先輩の高校2年生で、恋人の淳一との経緯とかでも多少設定が変わってました。

「そうですね。ディーン(・フジオカ)さんが演じる淳兄と並んだとき、『のちに夫婦になるように見えるのか?』という部分が一番不安でした。マンガ原作がある以上、ファンの方のイメージと違って『全然そんなふうに見えない』と言われたら悲しいので」。

――実年齢ではだいぶディーンさんと差があります。

「お芝居でカバーしようと思いつつ、やっぱり見た目の印象は大きいので、プレッシャーはありました。ディーンさんとは今回初めてお会いしたんですけど、現場で一番一緒にいる時間が長くて、本当に常に淳兄として見ることができて……。何も言われなくても、横に立っているだけで『百合香と淳兄はこういう関係なんだろうな』というものを感じられました」。

――百合香のお嬢様感を出す上で、意識したことはありました?

「自分が憧れるお嬢様像をイメージしました。普通は海にあんな真っ白のワンピースで行かないじゃないですか(笑)。でも、百合香にとってはそれが普通のこと。たたずまいや笑い方も、私はよくしゃべるし声が大きいし、大笑いもするけど、百合香は絶対そんなことはしない。帽子に添える指先も私だったらギュッとつかむところを、百合香ならそっとやさしく触るだろうなとか、想像しながら作っていきました」。


――そういう細かいところから。

「あと、千太郎が一瞬で恋に落ちるということで、高校生の男の子が年上の女性に憧れるのだから、律ちゃん(小松菜奈)のような同い年の女の子が持ってない大人な部分を見せなきゃいけなくて、研究しました」。

――ああいうつば広の帽子は持ってます?

「持ってないです。昔、撮影のときに衣裳として手で持ったことはありますけど、『普段どんなときにかぶるんだろう?』と思ってました(笑)」。

――本当に風に飛ばされそうな感じでした?

「そうですね。海辺は風が強いので、実際にこれをかぶっていたら飛んでいっちゃいそうでした。だから『あんな出会い方はないよ』と思っていたのが、『なくはないかな』と考え直しました(笑)」。

――舞台が1966年ということで、昭和感も意識しました?

「服装とかで多少ありました。佐世保の酒場では外国人の方が普通に出入りしていて、『こういう時代があったんだ』と思ったりもしました。そこに若い子たちが入っていくのも、すごいですよね。言葉はわからなくても、音楽で通じるものがあるのが素敵でした。撮っている最中は若い人向けの作品かと思っていましたが、試写を観て、大人の方も楽しめるノスタルジックな映画だと感じました」。

――百合香は髪を自ら切るところが見せ場でした。

「ずっとお嬢様と言われてきたけど、そうじゃないんだ。1人の女性として、あなたのことを愛しているんです……。そういう強い意志の表現として髪を切るということで、手が震えました。自分の本当の髪を切りたいとも思ったんですけど、撮影の順序もあったのでウィッグを用意していただきました。女の子にとって“髪は命”というくらい大事にしているものなので、自らハサミを入れてチョキンと切るのは、それほど淳兄のことを愛していたからだし、覚悟がある現われだと思います。そこは表現できるように大事に演じました」。

――真野さんも昔、バッサリ髪をショートにしたことがありました。

「ハロー!プロジェクト卒業を発表する前に切りました。自分の中でひとつけじめを付けたくて。切ったからには、もう戻せない。決めたからには、もう戻れない。そこを重ねて、新しい自分に向けて“女の決意”を表す意味では、百合香と同じでした」。


――百合香がすべてを捨てて淳一と東京に行く決断をしたのは、どう思いました?

「カッコイイと思いました。自分の人生で本当に大事なものを手に入れるためには、捨てなきゃいけないものもある。うまくやれば全部手に入れられるのかもしれないけど、そんなに器用じゃないから、たぶんああいう手段を取ったんだと思います」。

――カッコイイけど、なかなかできないことですよね?

「できないと思います。普通は『あのときにこうしていれば……』というタラレバの話になってしまうのに、そういうことを言わないように決断した百合香はすごいです」。

 
 

ちゃんと自分で道を作って
いつか後輩が走ってくれたら

 
 

――オーディションでやったという絵を描くシーンもありましたが、真野さんは普段、絵を描くことは?

「苦手です。ハロプロ時代、生写真に付く直筆アンケートとかで毎月絵のテーマがあったんですけど、すごいヘタでした(笑)。お芝居では現場で筆の持ち方を教えてもらって、『キャンバスのこの辺に実際に描いていいですよ』と言われて、『こういう才能があったら良かった』と思いつつ、うまい人に見えるようにやりました(笑)」。

――百合香は千太郎の気持ちには気づいていたんですかね?

「どっちだろう? 気づいてなかったのかな? 百合香はああいうタイプの男の子に出会うことはあまりなかっただろうし、千太郎はどちらかというと、海で絡んできた男の子たちのほうにいそうなタイプじゃないですか。ちょっと怖いと思いつつ、まっすぐな少年だとわかって、単純に絵のモデルとして良さそう、お願いしたら聞いてくれそう……ということだったんだと思います。決して弄んだわけではなくて(笑)。千太郎が薫と言い合う原因にはなりましたけど、百合香にはそんなつもりはありませんでした」。

――“坂道”ということでは、何か思い出とかありますか?

「私も小学校、中学校と坂道を通ってました。私の場合、行きが下り坂で学校に早く着くんです。でも、帰りは上らなきゃいけない。特に中学ではバスケ部の練習をやったあとで『あの坂を上るのか……』って、すごくイヤでした。薫が『いまいましい坂め』と言っていた気持ちは、何となくわかります」。


――その坂道で素敵なことがあったりは?

「痛い思い出ならあります(笑)。小学1年生のとき、五つ上の兄が6年生で登校班の班長で、私はすぐ後ろを歩いていたんです。兄がちょっかいを出したがって、その坂道でランドセルをポンと押されたとき、すごい勢いで転んでしまって、今でも膝に傷跡が残ってます。よく覚えているのが、学校の砂場で遊ぶ日だったのに、あまりの傷で血も出ていたので保健室で大きいガーゼを貼られて、砂場遊びができませんでした(笑)」。

――こじつけて言うと、今の真野さんは女優の坂道を着実に上ってますよね?

「いやいや。たまに横歩きしているときもあります(笑)。でも、やっぱり上るほうが、見えてくる景色が違うので楽しいです。ハロプロを卒業して5年経って、どれくらい上ったのかも、自分が今上っている坂の頂上がどれくらい高いのかもわかりませんけど、上り続けることが一番難しいと最近思っています。とりあえずここまでいろいろな作品に出演させていただけているのはありがたいですし、幸せなことです。自分の力だけではなく、人の縁やめぐり合わせで出られているものも多いので大事に上って、振り返ったときにできている自分の足跡に、胸を張って『この道を歩いてきたんだ』と言えるようになりたいです」。

――「坂道のアポロン」ではお嬢様役でしたが、「不能犯」や「相棒」ではやさぐれた役だったりします。清純派のど真ん中だった真野さんが、すごく役幅を広げているようで。

「幅広くできることはうれしいです。最近、皆さんの中で『あれ? この子、あの作品にも出ていたよね。あの役の子?』みたいにつながってきているようなので、自分の中ではひとつひとつ蒔いてきた種が、芽になってきている感覚はあります」。


――かと思えば、「LIFE!」ではオットセイの着ぐるみを着たり(笑)。

「そうです。『LIFE!』でコントをやらせていただけたことも、本当にうれしかったです」。

――最初に三木監督の映画の話がありましたが、自分でも映画はよく観るんですか?

「いろいろ観ますけど、どちらかと言えば洋画が好きです。邦画だと『もし自分が出ていたら……』とか考えて、今まで好きだった作品も純粋に楽しめなくなってしまったから、気分転換には洋画を観ます。それでもやっぱり表現の仕方に目が向いてしまうので、この仕事を始める前に映画やドラマを観て、純粋な気持ちで感動したり笑ったりした感覚は、少し薄れています。そこは複雑ですけど、逆に自分が観ていただく側に立っているのは、やりたくても誰もができることではないので、きちんとまっとうしなくてはと毎回思います」。

――最近で何か良かった映画はありました?

「ずっと好きで最近も観ているのは『親愛なるきみへ』です。アマンダ・セイフライドさんという『レ・ミゼラブル』でコゼットを演じた女優さんを私はすごく好きで、出演作はほぼ観ています。中でも『親愛なるきみへ』は本当に好きです。遠距離恋愛の話で手紙のやり取りをしていて、すれ違いがあって、相手の男性に言ってはならない言葉を言ってしまったときの涙や、男性がそれを聞いて崩れていく様がリアルで、私はいつも同じシーンで泣きます。最近あまりに観すぎて、そのシーンが来ると思っただけで先に泣いてしまいます(笑)。後でこうなるから、今観ている幸せなシーンも悲しく思えて涙が出たりします」。



――「坂道のアポロン」が公開されると27歳の誕生日も近づきますが、まだ誕生日はうれしいですか?

「いやもう、あまりうれしくないです(笑)。デビューしたのが17歳の頃で『このお仕事を始めて10年経つんだ』とか、いろいろ考えてしまいます。10年やれたことにただただ感謝ですし、親も何も言わず見守ってくれて『坂道のアポロン』の完成披露試写にも来てくれましたけど、そんな両親にも、今まで出会った作品や監督にも、もちろんハロプロのメンバーにも感謝です。この前、工藤(遥)が『女優をやりたい』ということでモーニング娘。を卒業したのも、私がやってきたことがひとつの目安になっていたらいいなと思います」。

――それはあるでしょうね。ハロプロを卒業して本格的に女優になるのは、真野さんが切り拓いた道ですから。

「私がハロプロでデビューしたときは、すでにあった大きな道を歩かせていただいたので、ちゃんと自分で違う道を作りたいし、いつかはその道を後輩にさっそうと走り抜けてほしいです。もちろん役者は見た目や年齢によってフィールドは全然違いますけど、工藤のことは本当に楽しみです。私もまだまだ自分がやっていく上で余裕があるわけではないですけど、焦りもありません。私は私で自分らしく、観てくださる方に満足していただける演技をするために精進していきます」。

 
 


 
 

真野恵里菜(まの・えりな)

生年月日:1991年4月11日(26歳)
出身地:神奈川県
血液型:B型
 
【CHECK IT】
2009年にハロー!プロジェクトからソロ歌手としてメジャーデビュー。2013年にハロプロを卒業し、本格的に女優に転身。近年の主な出演作は映画「orange-オレンジ-」、「君と100回目の恋」、「覆面系ノイズ」、「不能犯」、ドラマ「とと姉ちゃん」(NHK)、「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS系)、「この世にたやすい仕事はない」(NHK BSプレミアム)など。映画「坂道のアポロン」は3月10日(土)より全国ロードショー(配給:東宝=アスミック・エース)。ロンドン撮影の写真集「ERINA」が発売中。
詳しい情報は公式HP
 
 

「坂道のアポロン」

詳しい情報は公式HP
 

 

(C)2018 映画「坂道のアポロン」製作委員会 (C)2008 小玉ユキ/小学館
 
 

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