おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-⑥ 立見里歌

おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-⑥ 立見里歌

PHOTO=石塚雅人 TEXT=村田穫
 

80年代アイドルの象徴であり、現在に続くグループアイドルの礎を築いたおニャン子クラブ。9月20日の解散30周年まで8カ月を切った今、元メンバーたちに当時の思い出や近況を語ってもらいました。第6回は、おニャン子クラブの最年長で、グループ内ユニット・ニャンギラスでも活躍した立見里歌さん。おニャン子クラブ卒業後はポニーキャニオンに就職し、現在は、出版・広告代理業の傍らテレビなどにも出演。1月に自身がプロデュースする化粧水を発売しました。

 

あまりにも色モノ扱いされるので
母親が家で涙を流していました(笑)

 
――立見さんは、おニャン子クラブに入る前はオールナイターズでしたね。

「大学1年生のときにキャンパスで『ミスコンテストに出場しませんか?』と声を掛けられ、軽い気持ちで出場したら、なぜか優勝してしまったんです(笑)。当時、私の大学(東海大学)にはオールナイターズの人気メンバーだった山崎美貴さんがいたので、ミスコンテストにオールナイトフジのスタッフさんが来ていたんですよ。それで『オールナイトフジに出てみないか?』ということになり、オールナイターズに入りました」。

――オールナイターズからおニャン子クラブに入ることになったいきさつは?

「オールナイトフジのディレクターさんから『フジテレビに来てくれ』と言われたんです。それで行ってみると『メイク室と衣装部屋に行って』と言われたんですね。そこには水着が用意されていて、おニャン子クラブのオーディションに出ることになったんです。ただ、オーディションと聞かされていなかったので、最初のうちはオーディションであることに気付きませんでした(笑)。私以外に女の子が4人いたことや、最終日に点数が発表されたことで、ようやくオーディションであることがわかった感じですね(笑)」。

――おニャン子クラブに入った当初はどんな雰囲気でした?

「合格したときがちょうどタバコ事件(メンバー5人の喫煙がスクープされ、脱退させられた事件)の前後で、(後に脱退させられる)そのメンバーがまだいたんですよ! その日に、それ以外のメンバーたちから『よろしくお願いします』みたいな挨拶があって、そのときの目が『私達についてください!』といった感じだったのを覚えていますね。私はもちろん、メンバーも脱退の話を知らなかったんだと思います。でも、翌週からは5人が正式に脱退したので、雰囲気がガラっと変わりました」。

――オールナイターズとおニャン子クラブでの違いがあれば……。

「オールナイターズのメンバーは全員大学生で、ある程度完成された女性だったから、社交辞令や周囲の空気を読むなど、大人の付き合いだったと思います。おニャン子クラブは若いメンバーが多かったので、遠慮がなかったりぶつかり合ったりと素の付き合いでしたね。おニャン子クラブでは最年長だったので、スタッフ的な役割をこなしたり、メンバー間の揉め事をとりまとめたりしていました(笑)」。

――具体的には?

「スタッフさんが反省会や打ち合わせを兼ねて食事や飲みに行くとき、よくメンバー内で1人連れていかれました。そのときに他のメンバーへの注意事項を伝えるように言われるんですよ。一応大学生だったので(笑)、夏休み期間中にはメンバーの宿題を手伝ったりもしましたね。遠征のときにスタッフさんからの意向で、おニャン子クラブにあまり馴染めていないメンバーと同室になったこともありました。揉め事で一番多かったのは衣装選びでしたね。そんなときは人気のなさそうな衣装を先に選んで、できるだけ揉めないように配慮していました」。


――宿泊のときの部屋割りはどうなっていたんですか?

「スタッフさんが、仲のよさそうなメンバーを組み合わせていたみたいです。でも、その思惑とは違うこともあるみたいで……。始まった当初は、2~3人ひと部屋の組み合わせだったんですが、最終的には各自1人部屋になっていました。特に海外遠征で長期になると、仲のいいメンバー同士でも大変だから、個人的には最初から全員1人部屋のほうがよかったと思いますね。でも、1人部屋じゃ怖いというメンバーもいたので、スタッフさんは本当に苦労したと思います」。

――おニャン子クラブでは色モノキャラで活躍しました(笑)。

「かぶりものやコスプレが好きだったので、とても楽しかったです(笑)。小学生の頃から結構イジられるタイプだったから違和感はなかったし、辛いと思ったことも全くありませんでした。ただ、当時はアイドルが色モノ的なことをほとんどやらなかった時代なので、母親が家で涙を流していましたね(笑)」。

――その最たるものが、ニャンギラスでのユニットデビュー!

「ご存じの方も多いと思いますが、私って昔から本当に歌がヘタなんですよ。小学生時代でも、『絶対に歌手になってはいけない人』という項目の1位になったくらいなんです(笑)。だから、『私でいいのかなぁ?』って心配でしたね。ただ、大ファンだった中森明菜さんが所属していたワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)がレコード会社だったので、メチャメチャ頑張ろうと思いました。まぁ、頑張った結果があれなんですけど(笑)」。

――周囲からの反応はどうでした?

「ブーイングの嵐ですよ(笑)。(白石)麻子ちゃんだけじゃなく、(樹原)亜紀ちゃんや(名越)美香ちゃんからも『立見とだけは組みたくない』って言われましたね。レコーディングでもジャケット撮影でも不平・不満の連発で、本当に大変でした。『私は里歌ちゃん』のジャケット写真って、私以外笑ってないじゃないですか? あれは、当時の現場を物語っているんですね(笑)。でも、文句を言えるというのは、裏を返せばそれだけ仲がいいということでもあるんです!」。

――立見さんを語る上で避けては通れないのが、夕ニャン(夕やけニャンニャン)でとんねるずの石橋貴明さんとケンカしたことです。

「それまでも散々ネタにされていたんですけど、面白いことが大好きなので、個人的には全然気になりませんでした。ただ困っていたのは、母親が泣いていたことと(笑)、和ちゃん(内海和子)が次第に巻き込まれていったことでした。和ちゃんは子役から芸能活動をしているので、色モノ扱いされるのが嫌だったんですね。(ケンカがあった)この日も最初は、とんねるずにお礼参りをする“企画”として、和ちゃんと2人で臨んだんですけど、タカさん(石橋)が投げた椅子が和ちゃんに当たりかけたんですよ。私はともかく、和ちゃんがこうなると、ちょっと黙っていられなくなって、本気で怒ってしまったんです!」。


――それじゃ、石橋さんが椅子を投げ付けなければ……。

「多分、ケンカは起きていないので、大きな話題にはならなかったと思いますね。よくその後のことを聞かれるんですけど、この一件以降、スタッフさんが妙に気を使ってしまって、おニャン子時代はタカさんと一緒になることはなかったはずです(笑)。ポニーキャニオンに就職してからは一緒に仕事もしているので、わだかまりは全然ないですね!」。

――立見さんはおニャン子クラブが解散する約半年前に卒業しました。

「元々アイドル志向が無かったので、早い時期からおニャン子クラブを卒業したら芸能界には残らないと決めていたんです。卒業する半年ぐらい前から就職活動をしていて、ある程度の目処がついたので、1987年の春に卒業しました。後ろを振り返らない性格なので、卒業は前向きに捉えていましね。ただ、(国生)さゆりちゃんや麻巳ちゃん(高井麻巳子)も一緒に卒業したので、おニャン子クラブにとっては大きな転機になったと思います!」。

――卒業から約2カ月後におニャン子クラブの解散が発表されたので、大きな出来事だったと思います。

「解散を知らされたときは『ここまでよくやってきたな』という思いでいっぱいでした。初期のメンバーが卒業して新しいメンバーが入ってくると、どのグループも人気が下がってくるじゃないですか。だから、解散するか、存続させるなら大きく形を変えないとダメだなと感じていたんです。ただ、形を変えてしまうとファンの人たちからの反発もあったと思うので、解散という選択はタイミング的にもよかったと思いますね。『まだやっていたの?』ではなくて『解散しないで!』と言われたからこそ、今でもみなさんの心に残っているんだと思います!」。

 
 

息子が高校を卒業するまで
離婚のことは隠していました

 
 
――先ほども少し話に出ましたが、おニャン子クラブ卒業後はポニーキャニオンに就職しました。

「当時はレコード会社、スチュワーデス、広告代理店が花形職業だったので、この3つを中心に就職活動をしていました。ポニーキャニオンに決めたのは、一番早く内定をいただけたからなんですよ。最初の筆記試験は、どうにか合格(笑)。でも、そこから先がすごく長くて……。確か八次試験まであったと思います。最後に英会話の試験があったんですけど、そのときは死ぬ気で勉強しましたね!」。

――印象に残っている仕事は?

「入社して間もない頃、とある大物演歌歌手のイベントに宣伝担当として行ったんですけど、なにもわかっていなくて、タンクトップにショートパンツで行ってしまったんですよ(笑)。楽屋に入った途端、みなさん目が点になっていました。今から考えると恐ろしいですよね(笑)。あとは、やっぱりレコード会社のスタッフとして(工藤)静香ちゃんと仕事をしたことかな。コンサート会場で物販をやったり、ラジオ番組にゲストで来てもらったり……」。

――その後、結婚を機にポニーキャニオンを退社しましたね。

「結婚後は専業主婦をしていました。その頃は“お受験ブーム”で(笑)、友人が経営する幼児教室から『子供が産まれたら連れてこい』と言われて、1歳のときから息子と一緒に通っていました。幼稚園・小学校と受験は成功したんですけど、息子が小学校に入学したとき、離婚することになって……」。

――そんなことがあったんですか!

「ただ、息子や周囲の人に離婚のことを知られるとイジメに合う可能性もあるので、息子がある程度の年齢になるまで、隠し通そうと決意したんです。父親のことを聞かれても『仕事で遠くに行っているから一緒にいられないの』と答えていたし、周囲の人から怪しまれないように、運動会のときには別れた元旦那に来てもらったりしていたんですね。仕事を再開したのもこの時期だったんですけど、それは、離婚を決意したからなんです」。

――この時期は辛かったのでは?

「息子に対して申し訳ないという罪悪感がありました。自分個人の失敗や決断はいいんですけど、息子にはなんの罪もないので、両親と一緒に暮らすという当たり前のことを奪ってしまったことが辛かったです。あとは、私立の学校だったので、金銭面でも『このまま卒業まで行かせられるのかな?』という心配もありました」。


――結局、息子さんには離婚のことを話したんですか?

「息子が高校を卒業する頃、友人から『おまえの母さん、ウィキペディアに“離婚してる”って書いてあるよ』と言われたみたいで、私に聞いてきたんですよ(笑)。そのときは『ウィキペディアが間違っているんだよ』と答えて、自分で(その部分を)削除したんですけど(笑)、その後も何度か離婚のことを聞かれるようになって……。年齢的にも精神的も大人になってきていたので、“そろそろかな?”と思い打ち明けました。息子も素直に受け入れてくれたので、このタイミングでよかったと思います!」。

――その息子さんも社会人になり、子育ても一段落しました。

「ようやく自分の時間ができたので(笑)、念願だった化粧水のプロデュースを始めました! 若い頃にキチンとしたスキンケアをせず、年齢とともにボロボロになっていった経験から、良質の化粧水を作りたいという夢があったんですね。自分自身も以前から勉強していたし、化学に詳しい友人もいたので、このたび、ようやく形にすることができました!」。

――その化粧水「IPOLANI」の特徴は?

「まずは水にこだわりました。化粧水の大半の成分は水ですし、日本人の肌には軟水が合うと思います。当然、成分にはこだわり、何度も何度も“変更、変更”の繰り替えしで、最終的に無添加オーガニック、ボタニカルの商品になりました。その上、見ただけで優雅な気持ちになれるように、パッケージのデザインにもこだわっています。たくさんの方に使っていただきたいので、お値段もリーズナブルに設定しました。『IPOLANI』とはハワイの言葉で『最愛の恋人』という意味なので、この化粧水がみなさんにとって“最愛の恋人”になっていただけると嬉しいです!」。


――現在は出版や広告代理の仕事もしていますが……。

「ものを作るのが好きなので、私には向いていると思います。私の場合、タレントと裏方の両方を経験しているので、双方の気持ちがわかるんですよ。楽屋の雰囲気だったりタレントさんの態度だったり、お互いに気付きにくいところをケアできるのが強みだと思います。やりがいを感じるのは作品が完成したときですね。これまでの苦労が形になった瞬間なので、思わず自画自賛しちゃいます(笑)」。

――おニャン子クラブも今年の9月で解散から30年!

「周囲から見れば辛いと思われることもあったのかもしれませんが、ポジティブ思考なので(笑)、この30年間、本当に幸せでした。海外在住の亜紀ちゃんと美香ちゃんが日本に戻ってくるときには、麻子ちゃんも含めてニャンギラスのメンバーは集結しますし、他にも仲のいい元メンバーがたくさんいるんですよ。30周年ということで同窓会イベントをやりたいですね。もし実現したら、私は当然、おニャン子ソングを歌いたいと思います(笑)!」。

――2014年に出演した9月20日の解散記念ビデオコンサートでも、「私は里歌ちゃん」を熱唱していましたね(笑)。

「歌はヘタだけど歌うことが大好きなんです(笑)。このビデオコンサートは元メンバーの中でも話題になることがあるんですね。最初の頃はファンだけのイベントだったけど、ここ数年は元メンバーも参加するようになってきたので色々な話を聞くんですよ。私も出演させていただいたんですけど、会場の熱気に圧倒されました。ファンのみなさんやスタッフの方には感謝の気持ちでいっぱいです!」。

――立見さんにとっておニャン子クラブとはなんですか?

「弟からは『おニャン子クラブという“金脈”を掘り当てたね』と言われるんですけど(笑)、“金脈”というよりは“人脈”を得た場所ですね。現在、出版や広告代理の仕事をしながら化粧水のプロデュースができるのも、おニャン子クラブがきっかけで知り合うことができた方々のおかげなんですね。私の人生を豊かにしてくれたのがおニャン子クラブなので、メンバーになれて本当によかったです!」。



 


 
 

立見里歌(たつみ・りか)

生年月日:1965年11月14日
出身地:東京都
血液型:A型

 

【CHECK IT】
1984年に大学1年生でミス東海大学となり、その流れでオールナイトフジにオールナイターズとして出演。1985年4月、おニャン子クラブのオーディションに合格し会員番号15番として活躍。翌年4月にニャンギラスの「私は里歌ちゃん」でユニットデビューを果たす。1987年3月にはソロシングル「そんなつもりじゃなかったのに」をリリース。同年4月におニャン子クラブを卒業し、大学卒業後はポニーキャニオンに就職。1991年、結婚を機に寿退社。子供にも恵まれるが、後に離婚しシングルマザーとなる。現在は出版・広告代理業の傍らテレビなどにも出演。自身がプロデュースする化粧水「IPOLANI」が発売中。
 

詳しい情報は立見里歌 公式HPへ
立見里歌 公式ブログへ

 
 

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