おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-⑪ 白石麻子

おニャン子クラブ解散30周年カウントダウン -元おニャン子たちの現在-⑪ 白石麻子

PHOTO=稲垣純也 TEXT=村田穫
 

80年代アイドルの象徴であり、現在に続くグループアイドルの礎を築いたおニャン子クラブ。9月20日の解散30周年まで3カ月を切った今、元メンバーたちに当時の思い出や近況を語ってもらいました。第11回は、グループ内ユニットのニャンギラスや後期シングル曲のフロントボーカルなどで活躍し、非ソロデビューメンバーながらも高い人気を誇った白石麻子さん。おニャン子クラブ解散後は芸能界を離れ結婚。現在は主婦の傍ら、チャイルドボディセラピストやヨガのインストラクターも務めています。

 

ニャンギラスへの加入時に
泣いた記憶はありません(笑)

 
――おニャン子クラブのオーディションを受けたのは芸能人になりたかったからですか?

「そうですね。実は中学生の頃から劇団などのオーディションを受けていたんです。でも、両親が芸能活動に反対していたので、オーディションの結果を私に隠していたんですよ。後にそのことが発覚したときも『ワンちゃんを買ってあげるから許してね』と言われて、うまくごまかされました(笑)。おニャン子クラブのオーディションを受けたのは友人の誘いがきっかけでしたね」。

――芸能活動を反対していた両親は大丈夫だったんですか?

「高校生になっていたので、両親も以前とは違って『やりたいならばやりなさい』と言ってくれました。ただ、おニャン子クラブの最終オーディションに残ったとき、当時通っていた音楽スクールでソロデビューの話が出ていたので、今後どうするかを先生に相談したんです。その結果、『ひとりでデビューするより今は時流に乗った方がいいから、(おニャン子クラブに)合格したらそちらへ行きなさい』と先生が言ってくださったので、最終オーディションを受けることになりました!」。

――おニャン子クラブに合格したときの思い出があれば……。

「合格した直後に(国生)さゆりちゃんが最初に話しかけてくれたことを今でも覚えています。さゆりちゃんって“怖い先輩”みたいなイメージがあるかもしれませんが、ものすごく面倒見がよくて優しい印象だったので、近寄りがたさは全然ありませんでした。『国生さゆり=怖い先輩』という図式は、後になって周囲が作り上げたものだと思います(笑)」。

――国生さんのソロデビュー曲『バレンタイン・キッス』ではバックコーラスに抜擢!

「初めて聞かされたときは『なんで私が……?』って驚きました。しかも、もう1人のバックコーラスが(後にソロデビューすることになる)美奈ちゃん(渡辺美奈代)だったので違和感もありましたね。でも、周囲に迷惑をかけちゃいけないと思って全力で頑張りました。ただ、自分の中ではバックコーラスというより、フォーメーションでさゆりちゃんのすぐ後ろにいるという感覚が強かったです」。

――「周囲に迷惑をかけちゃいけない」という意識は、おニャン子クラブに入った当初からありました?

「ありましたね。集団行動なので、着替えや身支度を手際よく行ったり、学業との両立が原則だったので宿題をキチンとこなしたり、できる限りのことはやっていました。スタッフさんもそういうところをよく見ていたらしく、注意を受けるメンバーもいたので……。自分で言うのもなんですが、スタッフさんから見ると私は優等生だったみたいです(笑)」。


――バックコーラスの後はニャンギラスでユニットデビューしました。

「ニャンギラスって(立見)里歌ちゃん・(樹原)亜紀ちゃん・(名越)美香ちゃんの3人をユニットでデビューさせるという夕ニャン(夕やけニャンニャン)の企画(愛はおニャン子を救う!おニャン子AID)から始まったじゃないですか。だから、追加招集されたときは『え、私……?』って感じでしたね。その衝撃はバックコーラスのときよりも数段上でした(笑)。スタッフさんに理由を聞きたかったけど、“迷惑をかけちゃいけない”という思いがあったので聞けなかったし……。結局、疑問を持ちつつも受け入れた感じでした。当然、断るという選択肢は無かったです(笑)」。

――「私は色モノじゃない!」と言って、泣いて抵抗したという噂がありますが……(笑)。

「言ってないです(笑)! 泣いた記憶も全然ありません(笑)。よく『私は里歌ちゃん』のジャケットで、里歌ちゃん以外の3人が笑っていないから嫌がっていたと言われるんですけど、あれは撮影のときに『立見さん以外の3人は笑わないで』と言われたからなんですね。あくまでもジャケットのコンセプトだったと思います。ただ、“立見里歌withニャンギラス”(誰かをフィーチャーさせたいとき、おニャン子クラブでは「with」を用いたクレジットになっていた)ではないので、里歌ちゃんだけがフィーチャーされることに関しては、私だけではなく亜紀ちゃんも美香ちゃんも、多少の不満はあったと思います(笑)」。

――レコーディングはどうでした?

「歌うパートが多いこともあって、里歌ちゃんだけが苦労していましたね(笑)。私たち3人は早めに終わるので、里歌ちゃんが終わるのをずっと待っていました。ときには寝ちゃったこともあったかな(笑)。あと、里歌ちゃんが収録しているときに、私が(手のひらを上下させて)音程のアドバイスをしていた記憶があります」。

――ニャンギラスとおニャン子クラブでは、やはり違いはありました?

「ありましたね。おニャン子クラブに比べてニャンギラスは自由度が高く、それぞれが言いたいことを気兼ねなく言える環境でした。また、スタッフさんが最年少の私に対してやさしかったので、私の言うことをほとんど聞いてくれたんです(笑)。他の3人もそれに気付いていたので『麻子、スタッフさんにジュース買ってきてって言って!』なんて言われましたね(笑)。ニャンギラスは半年で解散してしまったけど、すごく充実していました。ただ、4人だけのライブができなかったことは今でも心残りです」。

――この時期から、フロントボーカルとしての活躍も目立つようになりました。

「フロントボーカルは(新田)恵利ちゃんや(福永)恵規ちゃんたちのイメージが強かったので、『ソロデビューもしていない私が前にいてもいいのかな?』という思いがありました。だから、フロントボーカルになったときは、嬉しさと同時に違和感もありましたね。古株になってきたから前に出させていただけたというのもあったんじゃないかな(笑)」。

――白石さんはラジオで活躍されていた印象も強いです。

「美奈ちゃん・むっちゃん(横田睦美)と『おニャン子のあぶない夜だよ』に半年間、『あぶない夜だよ』の出演が終わった直後から、(城之内)早苗ちゃん・ルリちゃん(永田ルリ子)と『TOKYOベストヒットwithおニャン子クラブ』(メインパーソナリティは関根勤)に半年間出演しました。『ベストヒット』は『あぶない夜だよ』での活躍が認められての出演だった気がするので、すごく嬉しかったですね。関根さんにもとてもかわいがっていただきました。ラジオは夕ニャンよりも素が出せたので楽しかったです!」。

――自分ではラジオ向きだと思っていました?

「どうでしょう? ただ、しゃべりは得意だと思っていました。ルリちゃんがやっていた学校紹介のナレーション(甲子園に出なくてもテレビで校歌を歌えるコーナー)を代理で務めたときに、スタッフさんから『麻子もできるんだ~』と言われたことがありましたね」。


――ラジオの出演が終わった頃、立見さんと樹原さんがおニャン子クラブを卒業しました。

「寂しかったですね。だから、このタイミングで私も卒業したいと思っていたんです。実は美奈ちゃんや(渡辺)満里奈ちゃんが入ってきた頃から、ソロデビューを前提としたメンバーが増えてきたので、私の居場所がないなと感じていて……。でも、スタッフさんから『まだ高校生だから卒業するのは早い』と言われたので、継続することになりました」。

――そして、その約2カ月後におニャン子クラブの解散が発表。そのときの心境は?

「周囲の雰囲気からなんとなく終わりが近いと感じていたので、聞かされたときもショックはなかったです。その後、スタッフさんとの面談があったんですが、在籍期間中にある程度夢を叶えることができたし、解散後に1人でやっていける自信もなかったので、芸能界には残らないという選択をしました。大学に行って恋愛を自由に楽しみたいという思いがあったのも大きかったですね」。

――ファイナルコンサートにはどんな思いで臨みました?

「スタッフの笠井(一二)さんから『会場には受験生も多いから、同じ受験生として元気づけてあげて』と言われたので、できるだけ『一緒に受験頑張ろうね!』と言うように心がけていました。あとは、いつもコンサートで泣いているイメージだったから、泣かないようにしようと思いました。最終公演の冒頭で『おニャン子クラブに涙は似合いません!』と言ったのは、自分に言い聞かせるためでもあったんです。実際は泣きまくりでしたが(笑)。終わった後は寂しさもありましたけど、悔いがなかったので達成感も強かったです!」。

 
 

私が元おニャン子であることを
子供たちが会話のネタに(笑)

 
 

――おニャン子クラブ解散後はどのような生活をされていたんですか?

「解散が高校3年生のときだったので、高校を卒業した後は短大に通っていました。昔から結婚願望が強かったので、この頃は『とにかく恋愛をしなきゃ』と思っていましたね(笑)。『芸能活動はもう終わり。これからは結婚して、お母さんになって……』という違う将来を描いていたんです。短大卒業後は就職して、1992年に結婚しました!」。

――元おニャン子の中では早い方ですよね。現在はお子さんが4人いるそうで……。

「そうですね。女の子が欲しかったのになかなか恵まれなくて、結果的に4人になりました。4人目が女の子だとわかったときは本当に嬉しかったです!」。

――お子さんが生まれてから、メディアに出ていなかった時期がしばらくありましたが、その間、同窓会企画などに出たいと思ったことは?

「難しいですけど……出たくない方が強かったかもしれませんね。正直、元おニャン子であることを隠しておきたい時期もあったので……。やはり、知られると色々なことを言われるじゃないですか。実際、わざわざ聞こえるように『そんなにかわいくないのにね』って言う人がいたり、『おニャン子って本当は仲が悪かったんでしょ?』って聞いてくる人がいたりしました。子供たちにも(私が元おニャン子であることで)負担をかけてしまった部分があったと思います。そのあたりを考えて、しばらく出演を控えていました」。


――元おニャン子あるあるですね。

「一番嫌だったのは『おニャン子だからできないんでしょ』と言われることです。何でもできて当たり前、できなければ言われる……関係ないじゃないですか……。だから幼稚園や学校や部活でも率先して役員を引き受けました。あちこち掛け持ちで、本当に忙しい毎日でした(笑)」。

――その後、2010年の「ボス 贅沢微糖」のCMあたりから同窓会企画にも顔を出すようになりました。

「子供たちのことを考えてメディアへの出演を控えてきましたが、当時高校生だった長男が、『たとえ出なくても、周りの人は出ない理由を自分に聞いてくるだろうから、出たいなら出ればいいじゃない。出ても出なくても(話題にされるので)一緒だよ』って言ってくれたんです。以前は気にすることも多かったんですけど、大人になったのか、あまり気にしなくなったんですね。それ以降は、メディアに出ることが増えました!」。

――2012年にはマツモトキヨシのCMに単独出演!

「突然のCM出演で驚かれた方もいると思いますが、これは里歌ちゃんの知り合いから頼まれたんです。普通の主婦を求めていたみたいなんですけど、里歌ちゃんじゃ主婦感が無いので私に話が来ました(笑)。本当に久しぶりのCMだったし演技も必要になるので緊張しましたね! お気に入りのシーンは掃除機をかけているところです。『そんなに急いでかけないで、ゆっくりかけて』と言われました(笑)。ついつい、いつものように急いでしまって……」。

――そして、現在はチャイルドボディセラピストやヨガのインストラクターとしての一面も……。

「ヨガは以前から多少やっていたんですけど、本格的に関わり始めたのはベビーマッサージの資格を取ってからですね。ベビーマッサージは赤ちゃんとの絆を深めるために母親が行うマッサージのことで、資格を取ると母親にそのやり方を指導できるんです。ベビーマッサージもヨガも“胸を開いて深い呼吸をする”という共通点があったので、ヨガへの興味がより湧いてきて……。その流れで、昨年の10月からインストラクターを始めました!」。

――ベビーマッサージの資格を取ろうと思ったきっかけは?

「自分が若くして母親になったため子育てに余裕がなかったので、『もっと穏やかに育ててあげたかったな』という思いが強かったんです。そこで、4人の子育て経験を生かして、育児にストレスを感じている新米ママさんたちに“子育ての楽しさ”を伝えたくて資格を取りました。取得したときはヨガのインストラクターになるなんて思ってもいませんでしたね」。


――おニャン子クラブの解散から間もなく30年。解散直後に「結婚して、お母さんになって……」という将来を描いていましたが、理想通りになりました?

「そうですね。少なくとも『こんなはずじゃなかった』という事態は起きていないです(笑)。今、子供たちは私のことを『お母さん』じゃなく『麻子ちゃん』って呼んでいるんですよ! 子供の友達からも『麻子ちゃん』って呼ばれています(笑)。当時の愛称で呼ばれるとなんか嬉しいですね。子供たちも私が元おニャン子であることに対してわだかまりがなくなって、職場や学校で会話に詰まったら、私が元おニャン子であることをネタにするくらいになりました(笑)。結婚して25年になりますが、とても幸せです!」。

――解散の翌年から続く記念イベントも今年は30周年の節目を迎えます。

「30年も継続できるってすごいですよね。活動期間が2年半なのに、今でも覚えていてくださる方がたくさんいるので、本当に驚いています! 3年前に出演したとき娘も観に来てくれたんですけど、会場の盛り上がりを見て『すごいね! 見直した!』って言ってくれました(笑)。30周年の記念イベントには参加する予定なので、またファンの方々と一緒に盛り上がりたいです!」。

――おニャン子クラブを経験したことで、現在でも役に立っていることは?

「これはもう、手際の良さですね。私っておっとりしているように見られるんですけど、意外と行動は速いし、複数のことを効率よくできるんですよ。元々得意だったということもありますが、おニャン子クラブの活動のおかげで、より磨きがかかったと思います。夕ニャンのスタッフだった坂間(和夫)さんが私の結婚式のスピーチで、『複数のことを同時にこなすことに関しては太鼓判を押します!』と言ってくださったぐらいです(笑)」。

――白石さんにとっておニャン子クラブとはなんですか?

「私にとってはもうひとつの教室であり大切な宝物ですね。当時はものすごく忙しかったので、実際に通っていた高校の教室ってあまり記憶がないんです。おニャン子クラブは様々なタイプの人がいて、その中でいくつかの仲良しグループができて、数名で行動することもあれば全体で行動することもある……。そして、里歌ちゃん・和ちゃん(内海和子)・美香ちゃん・亜紀ちゃん・スーちゃん(山本スーザン久美子)みたいに、今でも深い絆で結ばれている人との出会いがある……。これってまさにクラスの教室ですよね。素敵な教室で過ごした日々を、私は一生忘れません!」。



 


 
 

白石麻子(しらいし・まこ)

生年月日:1969年6月12日
出身地:東京都
血液型:A型

 

【CHECK IT】
1985年7月、おニャン子クラブのオーディションに合格し会員番号22番として活躍。翌年4月、立見里歌・樹原亜紀・名越美香とともにニャンギラスの「私は里歌ちゃん」でユニットデビュー。ニャンギラス解散後はシングル曲のフロントボーカルでも活躍する。おニャン子クラブ解散後は芸能界を離れ、1992年に結婚。その後は4児の母親として主婦生活を送り、現在はチャイルドボディセラピストやヨガのインストラクターも務めている。9月18日(月・祝)に行われるおニャン子クラブ解散30周年イベント「おニャン子クラブ FINAL LEGEND “THE GRAND FINAL”」に出演予定。
 

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